詩はたぶん、自分にとって趣味です。粘着的に長年書いてるけど、趣味の範囲は超えないなって思う。その方が楽しいし、長くやっていけると思ったので。前は必死すぎて書けないことにかなり精神をすり減らしたりしてたけど、今は良い距離感でやっていけてると考えてます。頭がゆるいのか適当すぎるのかよくわからないのだけど、周りほど重く捉えてないような気がします。重くというか、親密さというか。
書かなくなった人たちのことをたまにぼんやりと思い出したりもしますが、基本的にドライなのか、「彼らはウェブ上で発表しなくてもいい状況になったんだろうなあ」って思うだけです。すごく好きなものを書いてたり、仲の良かった人もいるけれど、惜しむととても寂しくなるし。書くことを再開する人はたまにいて、そういうのは勿論とても嬉しかったりします。
あと書かなくなったことには別段何も思わないのだけど、書いてきたものは勝手が違ってて、印象が強いものはよく覚えてたりします。でも中には覚えられてたり、残っていることが辛い人もいるんだろうなあっていうのも事実なんだよね。たとえば自分の壮絶に昔の詩が誰かの手元にあったりしたら舌を噛み切って死にたくなるけれど、私の気恥ずかしさと、彼らの辛さは次元がまったく違うものだと思う。私は死にたくはなっても図太いので死なないけれど、彼らは本当に心底しんどいのだろうなあと。詩の世界は凄く狭いと思うのだけれど、各々の中での役割が違うみたいで面白い。面白いよねえ、ほんとに。口に出しづらい趣味だけども・・・!でも温度差でしんどい思いをさせるのは不本意なので、気をつけたいです。こちらが良かれと思ってても相手にとってはしんどいって、とても恐ろしいな。